猪十戒の「み言葉に導かれて」

欠けの多い猪武者こと猪十戒(安田信夫)が、日頃の生活の中で心を動かされた事や「み言葉から思うこと」などを書きとめておきます。出るだけ毎週の高槻教会の礼拝や旅の途中で出席した他教会の集会等のこと、その他私の思いなどを紹介してゆけたらと思います。

最高の賛辞、そして慰め・励ましの言葉

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主による鍛錬 (ヘブライ12章1-3節)

こういうわけで、わたしたちもまた、このようにおびただし証人の群れに囲まれている以上。すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走りぬこうではありませんか、信仰の創始者また完成者であるイエスを見つめながら。このイエスは、御自身の前にある喜びを捨て、恥をもいとわないで十字架の死を耐え忍び、神の玉座の右にお座りのなったのです。あなたがたが、気力を失い疲れ果ててしまわないように、ご自分に対する罪人たちのような反抗を忍耐された方のことを、よく考えなさい。

 慰めと励ましのみ言葉でした。

1月22日の安村恭子姉の告別式の聖句はヘブライ12章1-3節でした。
司式の森田 進牧師が、お連れ合いであった安村喜行牧師と相談されて決められた聖句。
キリスト信徒として、職業婦人(家裁調査官・調停委員)・牧師夫人・母親として、与えられた仕事を忍耐強くしっかり走り抜かれた恭子姉を送るのに本当にふさわしい聖句でした。

主イエスの愛を証しするために、与えられたところでいつも精一杯働かれ、今は、後に残された私たちの前に証人として囲んでくださっている。
その愛に導かれた私も、力及ばずともその後に従って定められている競争(人生)を忍耐強く走りぬかなければならないと激励される、感謝。

悲しみの中に取り残された喜行先生御自身も、このみ言葉で自分を奮い立たせ、同時に共に走りぬかれた恭子姉を褒め称えておられるのであろう。

私も人生が終わり、天に召された時には、恭子先生に導かれたものとして、同じように走りぬいたと言われるように努力しよう。

写真は、お礼の挨拶をされる喜行先生。          (羜十戒)