猪十戒の「み言葉に導かれて」

欠けの多い猪武者こと猪十戒(安田信夫)が、日頃の生活の中で心を動かされた事や「み言葉から思うこと」などを書きとめておきます。出るだけ毎週の高槻教会の礼拝や旅の途中で出席した他教会の集会等のこと、その他私の思いなどを紹介してゆけたらと思います。

11月24日 高槻教会祈祷会

11月24日の木曜日は定例の祈祷会

11月24日は高槻教会の定例祈祷会の日、朝10時に教会に行って集う。
参加者は5名とすこし少なかったが、創世記の第4章で「最初の殺人事件〜カインとアベル〜」の話を学ぶ。
パーット読むと、神様は何故この様に不公平な事をと、疑問に感じるところ。ヘブライの文学では、答えを表さない特徴があるとのお話も伺ったが、カインの姿勢(思い)に、思い上がり高慢があったのかもしれない。私たちも自らを顧みることが必要なんだろうな。神様はいつも私たちを愛してくださっているとの信頼と信仰に立って❗️
聖書の学びの後、祈祷会に入りそれぞれが祈る。これからクリスマスが近づいてくるし、高齢になり、体に不調をかけている方のことなどを覚えて祈った。これからの教会の活動に、また牧師先生の導きに種のご加護が有りますように。
また今日の祈りの課題の教会は江戸川松江教会と、二人の信徒のご遺族にハガキを書いて祈る。
今回は写真なし。次回は創世記の第5章、難しい系図のところだ。どうなるやら・・・。解き明かしが楽しいみ❣️(笑)

11月22日13時半から、高槻教会やさしく聖書に親しむ会「王である祭司」を学ぶ

ヘブライ人への手紙9:23-28からの学び


5名の出席者で、ヘブライ人への手紙9:23-28を中心に、羽鳥先生の本のステップ7を読み学ぶ。
優しく私たちを愛し守ると約束される神と、常に正しく世を裁かなけれ馬ならない神様、
その板挟み状態を救うための、生贄としての十字架のイエス様。その不思議と恵を感じる。
意見交換の中では、日本における自分と罪の問題について話が弾んだ。
日本の中には、自立して自らの罪を認める意識はないのか・・・。
他人のための祈り、行動することはできるのに・・・。不思議だなー❣️

11月17日10時からは、高槻教会八丁畷家庭集会

八丁畷のSさん宅で高槻教会の家庭集会を8名で守る。

今回のテーマは、信徒の友11月号の特集から、「部落差別 水平社宣言100年に」であった。
100年前の「全国水平社創立宣言」は素晴らしい文書でいいなと思う。虐げられているののが、自らの人間としての平等/権利を主張して立ち上がる、それは素晴らしいことだ。私もその思いです職場に労働組合をやち上げ、職場の仲間の健康や権利を守流ために立ち上がり、それをまっとうしたから本当に同意だ。
全ての人権や権利、それを必要とする人たちは自ら叫んで立ち上がらなければならのだ。その事実は今でも続いいる。
それの今回の記事を読んで、その書き手のほとんどは私が大阪教区で活動してきた知り合いばかり、活動がちゃんと進んでいるのだろ読んでも一般論としての差別反対の考えは見えるが、将来のついての展望と方向性は見えない、残念なことだ。
出席された皆さんの意見を聞いていても、考えには同意、でも現実にはその差別された経済的状況などは改善され今は見えない。結婚差別も言われるとそれはダメだと思うけど、私はその現実には出会っていない・・。その現状から、今後にどんな方向を探すのだろう。
楽しく意見交換したが、コン顔の運動の方向転換を願う祈りが残った。

今回のテーマは信徒の友11月号の特集から
多くの方からは批判を呼ぶかもしれないが、ここから私の意見表明をする。

一般的に、部落差別とは元々は職業差別に受け由来され、それが江戸時代士農工商という身分制度のその下に被差別階級としての穢多非人を置かれたその住む住宅環境などにより、固定化されたとこと発祥されていると私は理解しています。そしてその居住地による差別が、出自(出身地)差別として固定化され、その後の就職差別/結婚差別に繋がったものと思っています。
私は、子どもの時からメンタルにハンディを持った家族を持ち暮らしてきました。そこにも差別はありますし、また逆に相手がよくわからないから、自分が攻撃されていると思い、相手を排除する周りの人たちの気持ちもわかります。多くの方が私の愛読コミックの「光とともに・・・〜自閉症児を抱えて〜」に書かれている内容を理解し、相手を認めてそれに合わせて対応してくだされば願うのみです。
で、
で部落差別ですが、その住宅環境などの関しては部落解放同盟をはじめとしての対行政闘争で、現在では多くは地域で改善されていると思います。そのために現場の実の住環境などの差別は解消されたと理解して。その活動は、今では日本国中の全ての地域住民が、自らの住環境と行政サービスを点検して声を上げる、一般の住民自らの声と昇華されるべきであろう。でないと、一度権力に対して大きな影響力を持ったものとして自らの権力を誇り、新たな利権集団のボスとなり意味機偉われるようになるであろう。多くの方の意見の中に、その恐れを感じた。
それと特筆すべきことは、今回の記事の中、具体的な結婚差別の事例は書かれず、この子が差別されるかもれないとの恐怖心の強調のみ。これは自らが自らのグルーブ(出自)を差別していること、まずはしれに打ち勝つことがまず第一。他人の心ではなくまず自ら心を見直してほしいと思う。

部落差別はどこから始まったのか

昔、大阪教区出身の部落解放委員会会長から、天皇がいるから部落差別があるとの発言を聞き驚いたことがある。
部落差別は江戸時代の「士農工商・・・」身分制度の始まったこと、天皇制とは全く関係のないことであるのは明白。
それより出自による差別は、現行日本国憲法(いわゆる平和憲法)のおいては、天皇家の人のみ基本的人権を奪われ(自分の意志とは関係なく)象徴天皇制維持のための道具の役割を強要される被差別民であるという事実に、まず目を向ける立場にありながら、天皇制があるから差別があると全く的外れの発言。悲しいことです。
徳川政府を打ち倒す旗印として天皇制を担ぎあげ、天皇を看板に実態はおれたちがいただくと蠢いた、安倍の爺さんをはじめとする長州の悪役が画策した政治に乗っかってよく言うよ。悲しいことだ。

あえて言う。

現在は、ジェンダー問題をはじめ、多くの弱者が私の人権を守れと発言を開始し、行動出来る時代。
解放同盟も部落解放委員会も、活動視点を変更し、多くの弱者差別解消の戦いの中に先立として入って活動してほしいな。
その意味では発展解消を提起したい。
いつまでも「俺差別された側で正しい人、他の人たちは差別した側で悪い人」では話が始まらない。
私たちキリスト者は私はどうしようもない弱い人間、罪を犯してしまいます、私を許してくださいと他人ではなく自らを顧みるもの。

11月20日は「収穫感謝合同礼拝」、とても沢山のお野菜や果物が捧げられ感謝

収穫感謝礼拝はとても沢山のお野菜や果物が捧げられ感謝

11月20日は収穫感謝合同礼拝で、とても多数のお野菜/果物の捧げ物があった。特に注目してほしいのは講壇上手に飾られたみかんの木。信徒の1人が捧げたみかんの木を教会の前庭で2年がかりで牧師先生が手入れした育てられた物。黄色いみかんの実が30個ほど付いている。
礼拝後は捧げられたの物を出席者でいただいて帰る。木になった実も全員に行き渡ったようである感謝。

礼拝の中で、捧げ物の収穫物の紹介をされる牧師
礼拝後、講壇に飾ったみかんの木から実をとってとって配られる牧師
講壇上手には教会で育ったみかんの木も飾られ捧げられる。
講壇に飾られたお野菜や果物

礼拝後には、子どもの会のアンケート報告が行われた。素敵な報告会であった。

礼拝後は、子どもの会アンケートの報告
11月20日の礼拝案内看板

今日の礼拝の中では、とても小さな「カラシだね」の紹介とその木が大きか唸ることを話され、その中で牧師先生の証の話がされた。先日は牧師夫人の証を聞き、今度は牧師の証、すごいなと思う。そして最後に牧師先生が励まされた讃美歌の紹介をアカペラで行われた。『歌声と変える』と言う歌で全く知らない歌だったが、聞いているとなぜか勝手に口ずさんでいた。とても歌いやすい讃美歌で、何人かの方が繰り返しの部分を中心に歌われたいたようだ。

11月20日収穫感謝合同礼拝説教『どの野菜よりも大きく』の要旨

11月13日の主日礼拝『主われを愛す』と朝の礼拝『おいてきぼりのミイちゃん』

朝礼拝はロマ書12:3-8 からTさんの福音のメッセージ
朝の礼拝はTさんの福音のメッセージ

Tさんの友人の書かれた「置いてきぼりのミイちゃん」の紹介をしながらの福音の解き明かし。会堂のみんなも「ミイ」「ミイ」と泣き声を上げて絵本の読み聞かせに参加、楽しい時であった。

11月13日の主日礼拝案内

今日の聖書箇所は、招詞 詩編46:10、詩篇交読 詩篇 77:1-21、出エジプト記3:1-15、ヘブライ書8:1-13、主題聖句 ルカ20:27-40です。
『主われを愛す』と題して藤原牧師からの解き明かし。ファリサイ派サドカイ派の考え方の違いの解説などをされながら、死に打ち勝つ信仰の存在とその力を、牧師先生のお父さんの神学生時代の経験から話された。私たちも神様に愛され与えられた希望を信じて歩みたい。

11月13日の「主われを愛す」の要旨

11月6日の午後2時からは教会墓地で墓前礼拝を

11月6日の午後2時からは、教会墓地で墓前礼拝と納骨式
教会墓地で墓前礼拝

多数参列のあった永眠者記念礼拝の後、各自昼食をとり、また遺影台の写真を眺め旧友を思い出したのちに、午後2時から東天川町の教会墓地にて墓前礼拝が20数名の参加で執り行われた。私は第1日曜日で会計処理が忙しく昼食をとる暇も中ったが、自転車で10分もかからない(私の自転車は早い)場所だから、墓前礼拝開始前にはちゃんと会場に着いた。この墓地には義母と妻が眠っている。家からも近く自転車で15分もかからないから、2月2一度くらいはこれる。
墓前礼拝では「中桐信夫」さんと。「神田敬子」」さんの埋骨式も同時に行われた。お二人とも高槻教会をその大切な居場所として愛された方。いろいろな事情があったが、教会に連なる多くの方の祈りが実って、今回埋骨することができた。感謝です。
埋骨式の後には、共に墓参した、家から近い教会に転会した友人と共にひさしぶりに共に話ができた。そして話の中で、今の政治が悪くなっているのは、選挙方法が改悪され衆議院選挙で小選挙区制が導入されて以降だと意見が一致して話が弾んだ。とても大切な見識だが、それ堂々と発言する人は少ない。お互いその姿勢は大切にしてゆきたい。

新しく2名の友の名が刻まれた高槻教会墓地

11月6日永眠者記念礼拝 87名と多数で礼拝を守る。感謝

朝の礼拝は、ロマ書8:26-27から、福音のメッセージを
遺影台を前に、朝の礼拝の福音のメッセージ

朝の礼拝では、ロマ書8:26-27のみ言葉からの福音のメッセージを、遺影台の中に飾られている義母との出会いと、共通の課題/弱さを支えてくださる神様の働きなどの話から、福音のメッセージ。聖書と会衆だけでなく、遺影として並んでいる方達と共にみ言葉をきき学べた、感謝❗️

永眠者記念礼拝は、遺族の方の参列が40数名と多数あり、礼拝堂は満杯。
会堂は、参列者で一杯。何時もこれぐらいの人数で礼拝したいな。

永眠者記念礼拝は、40数名の永眠者家族の出席もあり会堂に87名もの多数が集って礼拝を守った。会堂の前には遺影台が設置され3段で80名を超える遺影が並べられ、その前には今年天に召された5名の方の遺影が並ぶ。遺影台の作成設置は私の作業であるが、来年はあと90cm幅を広める必要がある。それで2年後の60周年までは頑張ろう。
礼拝式の中では、90名にもなる永眠者のお名前が朗読され、その後祈りの時がもたれた。
今週も招詞 ハバクク書2:20、詩篇交読 23:1-6、第一テサロニケ4:13-18、ルカ7:11-17、主題聖句 コリント17:1-6からみ言葉を聞き、『賢者の心は弔いの家に』と題して、解き明かしをきく。朝日新聞への一人の女子中学生の問いをどきっかけに、死をどう考えるのかの話しにならい、死は範囲恐ろしいものではなく、わたしたちであれも避けることのできないものだけど、永遠の命の知恵を持って臨むものとの希望が語られた。
礼拝後の紹介では、時間の関係であいさついただける方は限られたが、良い時であった。

11月6日永眠者記念礼拝の説教「賢者の心は弔いの家に」の要旨

遅くなったが、10月30日の礼拝報告

朝の礼拝はヨハネ15:16から、Uさんからの福音のメッセージを聞く


「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び・・・」とのみ言葉から、Uさんんの思いと証を聞く。私たちの道、主によって選び導かれていることを確信する話であった。感謝❗️

主日礼拝は、『わたしの虹を置く』と題して藤原牧師から
礼拝の献金の祈りをおこなっている場面

高槻教会の主日礼拝は通常は毎週5ヶ所から聖書の言葉を聞く。
この日は招詞 詩篇29:2、詩篇交読1:1-6、ロマ書5:12-21、ルカ11:33-41、主題聖句 創世記9:8-17を聞く。
今日の説教要旨はプリントを参照してくださったらいいが、ノアの箱舟の話から、神様が人間に対してなさった約束と、その心や思いの深さをお聞きした。高槻教会の教会堂の後ろには写真は載せていないが、ノアの方舟の絵もあるし、会堂の構造そのものは箱舟をひっくり返したような構造。
お話もよくわかったし、わたしたちは、罪を悔い改め、私たち自身も神様の思いを受けて日の架け橋となって働きたい。

教会の礼拝案内看板
10月30日の主日礼拝要旨

10月25日13時30分からは、高槻教会で「優しく聖書に親しむ会」

10月25日の昼からは、高槻教会で「優しく聖書に親しむ会」に参加


火曜日の昼前は、定例の整形外科通院日、コミックモーニングの後一旦家に帰ってから、いつもの成形外科にゆき、そのついでに火曜日の買い物をした後、高槻教会に行き、「優しく聖書に親しむ会」に参加。
祈祷会や家庭集会とは異なる6名のメンバーの参加で会は行われた。テキストわたしは書名を知らないが、とある先生の書物から、コピーした部分を読み合わせながら、関連聖書箇所を読み、解説を聞かせて頂く。ステップ6「あの預言者」とある部分の学習だ。
小見出しは「不思議なお方」「キリストー油注がれた者」「預言者としてのイエス *ことばによる教え、*行いによる教え」「私たちの模範」とあった。
全体として、主の教えを聞き、主に愛されていることを知り、それに従ってゆこうとの学びであった。
私は、わたしの皆さんのように真面目に考えて、「私の罪が許されて救われたと考えるタイプではなく」何か良くはわからないのだが、わたしはイエス様を信じる方達を通して、いつも愛され支れられ続けて今があると感謝感謝のタイプだから、お話は良くわかり。自分でもできる範囲でそれに応える生き方をしたいと願っている。
とにかく良い学びであった。感謝

10月23日(日)も高槻教会で朝の礼拝と主日礼拝(司式当番)を守る

朝の礼拝は「コリント人への手紙1 12:27-28」から


Nさんによる、コリント人への手紙1 12:27-28からの福音のメッセージ
先々週から続いて「あなた方はキリストの体、一人一人はその部分」という同じテーマのみ言葉の箇所が続く。 勿論聖書箇所は違うし話し手も違うが、同じテーマで繰り返し異なる視点/話し手から聞けるのは嬉しいな。 私も一度語ったが、他の方の話から学ぶことが多い。 

主日礼拝は「ヨブ記 38:1-18」から『わたしに答えてみよ』との説教


主日礼拝は、私が司式当番であったので、写真は説教中に講壇を降りた時にパチリ❗️ 今日の聖書箇所は、招詞:詩篇100:1-2、交読詩篇:詩篇148:1-6、使徒言行録:14:8-17、ルカ:12-31の後、牧師が主題聖句のヨブ記38:1-18を労働された後に、『わたしに答えてみよ』との解き明かしを話された、礼拝の中では、塩屋弘牧師(ウェスレン・ホリーリネス教団戸畑高嶺教会)の、同じ聖書を読む際にでも黙読と音読では全く違った印象受けたと、この箇所を音読された時の思いを紹介された。そうするとこの箇所で「お前を愛しているのは誰か?」の声が聞こえてきたとの思いがわたしも感じれた。これからも心掛けてみよう。神の愛に守られている確信、それがわたしの信仰の支えです。 そういえば、音読については、わたしも趣味で集めた戯曲を読む時、声を出して読む琴が多い。これもその役の人の思い/心が感じやすいからかな

教会歴では今週から降誕前節に入った❗️


今週から降誕前説に入ったので週報と説教要旨の用紙の色が緑色に変わった。これからアドベントまで前第9主日から8→1主日と変わってゆくのだ。

今週の教会看板です。

 
そして礼拝後は、聖歌隊の練習とハンドベルの練習でクリスマスに備えた後、帰宅

帰宅途中では、いつもの緑町カフェでケーキセットを頂く。
そして昼食は我慢していたのだが、他のお客さんが美味しそうに「アイスクリーム善哉」を食べておられるのを観て、つい追加してしまった(笑)の