猪十戒の「み言葉に導かれて」

欠けの多い猪武者こと猪十戒(安田信夫)が、日頃の生活の中で心を動かされた事や「み言葉から思うこと」などを書きとめておきます。出るだけ毎週の高槻教会の礼拝や旅の途中で出席した他教会の集会等のこと、その他私の思いなどを紹介してゆけたらと思います。

10月9日の高槻教会の朝の礼拝と主日礼拝

朝の礼拝では、私が福音のメッセージの担当

上の写真は朝の礼拝の時の藤原牧師のお祈り、今日は私が福音おメッセージ担当であったから当然私の写真はなし。お話は第1コリント12:12-13節のみ言葉から「体は1つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は1つであるように、キリストの場合も場合も同様である。」から、主の教会は一つになってほしいし、そういう思いで毎週の教会に集ってほしいというお話をした。お話の最初に第1コリント1:10-17の部分も読み、先週教団総会に行ったときの思いとして、2000年前と同じように今も私たちの教会は主の教会は1つとなれていないとの感想を語り、その後に私が子供の頃に教会に通っていた広島県の福山の町では、主の教会は1つの想いのシンボルとして1月1日の元旦には、市内のプロテスタント教会(アライアンス/ルーテル/聖公会/長老派/メソジスト/会衆派の6教会が毎年会場を移しながら、それぞれの教会の方式に従って礼拝をして互いに交流し、主の教会は1つの思いを共有していた。そのおかげで、私はキャンブ生活を楽しむときでも、芝居を遠隔地まで見にゆくときでも、その近くの教会の礼拝に集うことが出来た。普段出席する教会は決まっているのであるが、多分日本中で100教会は行っているかな❗️
主の教会は1つと確信が持てていればその辺りが、自由にできるから真似してと言っておいた。そして色々な教会に行った時の鉄則は、お客さまだからその教会のやり方を素直に受け入れること、そしてどうしてもその教会の雰囲気が受け入れられない時には二度とそこに行かなかったら良い❗️私の100以上の教会の中で1つそんな教会だあり、その教会は2-3年でその教会は無くなっていたと事実を話しておいた。
話していると、子どもたち以上の大人の方の頷きが大方ように思う。役目は果たせたかな❗️

これは10月9日の礼拝案内の看板、大和高田伝道所の富田穎子牧師による『どんな種より小さいが』

10月9日の主日礼拝は、大和高田伝道所の富田穎子牧師のお話

10月9日の主日礼拝は、大和高田伝道所の富田穎子牧師に来て頂いて、『どんな種より小さいが』と題し、マタイ13:31-32をテキストに、大和高田伝道所の歴史や現在抱えられている問題の現状の背景説明をしながら、カラシ種のように働くことを目指しての開拓伝道の現状を話して頂いた。
富田穎子先生は1985−86年に高槻教会で伝道師をされた後、東京神学大学大学院で学び直し牧師になられた方、高知教会や鎌倉泉水教会で働かれた後、1998年から奈良県の大和高田の地で開拓伝道を20数年なされている。私たちのその当時から高槻教会も大和高田伝道所を支援する献金運動を長年続け、毎月献金を辞退されるようになった後も、その活動は現在では「労苦する教会・伝道所等を支える献金」運動として続いている。
良いお話を聞かせて頂いた。

今回富田先生に来て頂いたのは

上でも書いたが、私たちの高槻教会では昔から大和高田伝道所と繋がりを持ち、時には観光バスに載って観光をかねて会堂訪問をし、帰りには温泉を楽しんだりしてきたが、今回来て頂いたのは、大和高田伝道所が、駐車場などのために隣接地を購入される課題に関して、教団内の全教会に対する献金呼びかけ活動の実務されるのは、活動できる教会員数からして困難であろうから、その部分を高槻教会員が実務を代行応援できないだろうかとの検討から始まり、一度先生に来ていただきお話と事情をしてから応援しようとの役員会判断でお願いして実現したものである。
礼拝後の例会で、富田先生から大和高田伝道所の現状もご一緒に聞いたので、これから具体的な実務の応援活動が、役員会から提案があるだろうから、できる範囲で応援して行きたいと思う。

例会後は、富田先生と役員会で会食し交わりを深める

コロナがなかったら例会では愛餐会を開いてく交流できるのだが、コロナ禍でそれが難しいので、先生と役員会のみの会食交流の時、伝道所の抱える問題をさらに深くお聞きし、同時に昔のバス旅行の思い出などの話の花が咲き、コロナが治ったらまたバス旅行して新しい会堂を訪ねたいな❗️などと話が弾んだ。