猪十戒の「み言葉に導かれて」

欠けの多い猪武者こと猪十戒(安田信夫)が、日頃の生活の中で心を動かされた事や「み言葉から思うこと」などを書きとめておきます。出るだけ毎週の高槻教会の礼拝や旅の途中で出席した他教会の集会等のこと、その他私の思いなどを紹介してゆけたらと思います。

題42回教団総会にて、江戸 清牧師と会う。感謝

 題42回教団総会に参加して、議員名簿を見ていて、奥羽教区選出の教師議員の中に奥中山教会の江戸 清牧師のお名前があるのを発見した。
面識のある牧師ではないし、勿論江戸牧師は私の事など全くご存じないはずである。
でも私は江戸牧師のお名前は知っていた。というのは、私が18歳で福山の町から京都の立石電機という会社に就職して、その中央研究所勤務となり、交通信号機の開発を研究する交通部門の研究室に配属された時の最初の主任が、江戸牧師の叔父さんの江戸鶴男さん。お名前の漢字は違っているかもしれない。でも、会社ではそのご兄弟のことは話されないから、会社の近くの神足教会という教会で伝道師?もしくは副牧師と働かれていることは知らなかった。
 神足教会は職場(住んでいた寮)から一番近い教会であるから、とても大きな幼稚園を経営されていた教会で、4月の第1週に礼拝に参加したが、主任牧師の取り仕切る礼拝がとても異様で、今の言葉によるとカルトの様に感じて、私の人生の中でただ一つのこの教会には行きたくない教会となってしまた。第2週からは、高校時代に西中国教区の高校生キャンプに指導者として出席されていた川上潔牧師のあられる京都の錦林教会に集積する様になった。その教会では同志社の神学生もの多く私は楽しく定着した。
ここまでの話では、江戸牧師との関連はないだが、地元にある神足教会は2,3年の内に幼稚園だけが残り、教会閉鎖になったのだが、その幼稚園の運営に問題があると地域の運動が起こり、同時に江戸という牧師が迫害されているようだとの噂が流れ、私は当時活動していた乙訓の反戦青年委員会のメンバーとして、ハンドスピーカーを持って押しかけたりした。江戸鶴男さんは街で政治活動をされる方ではなかったが、江戸牧師は御兄弟であるとだけ聞いていた。
その江戸獄氏は奥羽の方で牧師を続けられていたと聞いていたから、もしやと思ってお声かけした。

やはり江戸鶴男さんの甥御さんであった。もう年を取られに認知もで始められている様であるが、古い知人につながる方に出会えて幸せであった。